スメルス・ライク・バブバブせぷてんばリンク集はかけがえのない青春の汗。そこに君がいたことを絶対に忘れない。 | |
|
|
スメルス・ライク・バブバブせぷてんばリンク集
十代の汗は一生尽きることないものなのかも知れない・・・・・。 |
春の匂いがする。どんな匂いかというとあまりよくわからない。季節を意識するようになり、今年もこの匂いのする季節になったんだと思う程度のものだからだ。あからさまにかぐわしい花の香りではない。もしかしたら雑草などの花が地域で開花してゆるい北風と午後の陽に照らされて空気中を漂っているだけなのかも知れない。 海を知らない。海に行ったことがあるけれど、生活の中で春の海を感じたことはない。海の無い内陸部に生まれ、育ち、今だここで生活しているのだから仕方の無いことだ。春はいい。期待と寂しさがある。しかし私は春に生まれたので懐かしい気がする反面、更に年齢がカウントされてしまうのでせかされる感じがするのでその思いは複雑だ。 個人的には11月が好きだ。寒すぎず、イベントも何も無い。寒さのなかにもあたたかさも確認できる。いつかの春はどうだっただろう。通学の車窓から畑や田舎の町を眺めていたことがある。乗客が誰もいなくなると、小さな声で歌を歌っていた。向かい合わせの長椅子は大きく小さく上下に揺れる。ずっとここにいたいと思ったことがある。 春は花粉症のせいで微熱が続く。悪化しない風邪の治り際が一ヶ月以上続く感じ。個人的には嫌いじゃない。風邪をこじらせて肝臓を痛め入院したこともある。風といえどもその経験から結構びくついてしっかり直すほうである。体調が悪いことをナルシズムとして楽しむことがここ20年くらい無いのだ。花粉症の微熱は嫌いじゃない。けど皮膚が荒れるのはつらいかもしれない。冬の秘密が明かされてしまう季節。ショックを受けたあと、いつもどおり立ち直り夏へ向かう。 夏が9月半ばまであると思ったら大間違いだ。夏は海の日の三連休あたりで終わる。あとは秋。カゲロウの命はここまで、太陽光線はこのころを境にやわらかくなってしまうのだ。だらだらと高温が続く季節など夏と認めない。そう思うようになったのはいつからだろう。写真にのめりこんだ28歳のころだったと思う。もう十代の頃にかいた汗とは違うことは理解していた。 意識はする。その真っ只中にある十代は無論自分がそういうライフ・スケールで測られていることなど知る由もない。自分にはもう見たくないものがある。インクと筆と画用紙、それから他者が描いた優れた白黒2色のグラフィックがそれにあたる。四半世紀をそんなものに費やしてしまった。得たものはお金や名声ではなく、そのようなものに現を抜かしていると一生がだいなしになるという教訓だ。 ある一部の人にはそういったものがあるのではないかと思う。たとえばピアノ、サッカーボール、柔道着、囲碁と碁盤、膨大なレコード・・・(みんな白黒だな)。しかしそれなしに自分はあったかといえば、ない、ないはずだ。どの道それぞれの人はそこを通るしかなかった。そんな経験をした人は幸福だと思う。少なくとも個人的には終始を見ている。心の中では夏の高校野球の中継を一生見たくないという元高校球児もいるだろう。しかしその人はそこまでのものを自分に見せたと言っていい。 映画「Bレード・ランナー」の劇中におけるRプリカント、Rイ・バッティの言葉「お前の作ったこの眼で、見てきたものを見せてやりたいよ・・・」。そういった類の人間はある領域を見てしまった存在なのである。自分は四十路を目前にしてまた始めてしまったものがある。胎動が始動に移行してしまった。諦めた、以前のスタイルでは。しかし本当は諦めてなんていない。父親から13歳の時に買ってもらった一眼レフのカメラで初めて狙いを意識したのは、寒い夕暮れに電線から鳥が飛び立つ瞬間、十代の汗は一生尽きることないものなのかも知れない。 |
スメルス・ライク・バブバブせぷてんばリンク集