野外プレイ

おまるこアーキテクトは人間が生活のために四方を壁で囲み、屋根を設けたときからその歴史は始まったと言える。構造力学を建設素材の飛躍的進化に伴って、19世紀には人類は成層圏に一番近い場所までいけるようになったのである。さらに居住性が盛り込まれて私達の生活がより快適になったと言えるだろう。

太くて高い塔がそびえ立つ!





























まずは一歩を踏み出そう。もっと具体的な行動をとることで、実現することもある。あまりにも途中で投げ出したことがおおいから、勇気さえ起こらなくなってしまったかもしれない。けれども行動を起こすべきだ。どんなにくじけても辿りつきたい場所があるはず。チャレンジするチャンスはいくらだって作り出せる。

人工的なものを毛嫌いする人がいる。自分は人工的なものが大好きだ。アウトドアなんてわざわざ自然に人工物のままごとセットをもちこんで喜んでいるだけ。海へも車で行くのだろ?カップめんとかも食うのだろう?自分はそうする。純粋な自然など求めない。もともと英雄譚が好きでもなければ一般的なロマンティストでもない。どうしようもない境遇や結果にしか感動しない主義だ。完成品の有無より構造や理念にさとされることの方が圧倒的に多い。はっきり言う、レアリストほどのロマンティストはいない。人工物が好きということは物的完成品しか信じない。ダビンチもモーツァルトも天才だがその天才は完成品によってしか確認することはできないからだ。思想は口にするものではなく、結果へのお守りだと思っている。結果を出そう。未知の領域では競争はない。孤独なレコードの塗り替えがあるのみ。古代南アメリカでは金より価値があるものがあった。織物である。天然からもたらせることのないこの人工物に最高の価値を見出した彼らに最高の敬意をはらいたい。そして自分もそうありたいと思っている。
 
気分に任せていたら何も成就しないだろう。そんな風に考えるのは悲観的だろうか。人間は感情の生き物であるという。そこにはすでにパラドックスが存在しているかのようでもある。しかし我々は生きている。その生命はかけがえのないモノなのである。

この梅雨入り前の不安で柔らかな感覚は一体何なのだろう。2000年頃のインディーズっぽい映画のような、最後のスチール写真のシャッターを切るような感覚。聞きたくなるCDがたくさんある。これもまた勿論邦楽である。2000年がどうもネックらしい。激動のムーブメントの中でも、何となくお気楽ムードがあった。どうにでも生きてゆけるような感覚があったと思う。そんな雰囲気と、今の季節特有の暑くもなく寒くもなく、緩やかな曇天空がシンクロしているのかもしれない。今また写真を使ったセルフポートレート的なコミックスを制作しようとしている。あの頃とは少し変わって今度は全てデジカメによる撮影となった。作画もベクトルデータによる二次元フルトレスCG。しかもカラーで仕上げてゆく。とはいえ今の環境だとその方が意外と楽だったりする。デジカメとパソコンがあれば何とかなってしまうのである。内容はあの2003年と同じシュールで行きたい。はじめは処分した作品の焼き直しが主なものになると思う。そして今度のモデル(自分)はかなりバージョンアップしたと思う。体重は4〜5kg落して頭は丸刈り、メガネ着用ときている。完全に演じるためのモデルを作ったと言ってよいだろう。このためには健康維持も不可欠。余計なものは食べないようにしているし、運動も周期的にしている。着るものも、体にあった衣装を常に見つけておかなければならないといったところだろうか。「カメラを意識する」、「演じる」ということによって少なからず自分の意識を活性化できるように思える。自分が客観的にどう映っているのかを知ることによって効果的なふるまいができるようになる。「作られた自然」という存在に気づく。そしてそれを演じるのである。直接的なかっこよさはいらない。シュールで稀有な個性を演出できればいい。それこそが自分が求めている美学。性格は自然と備わった物を指す場合が多い。しかし例えば人が社会に適応するための進化として、自分を規制することを覚える。それを長く続けることによってそれらが身に付き、100%とはいかなくてもほぼ100%くらいには幼年期に形成したオリジナル・キャラクターに矯正することは可能であると言える。ここで重要なことは「そうなりたい/そうありたい」と心から思い、憧れて、そこにプライドを持てるようになることである。自分を律することで手に入るものがあると自覚できればいい。その過程さえ楽しめればパーフェクト。自分にとってそれは、フィクションの自分を作っていくこと。かつての自分は記憶の中にわずかに残しておけばいい。それはほぼまるっきりコミックスを制作してゆくことと連動していく。年齢は38を迎えてしまった。けして若々しくはない歳だ。けれどこれが適齢だと思っている。情けないのやみすぼらしいのはごめんだ。全てが適齢だと思いたい。自分を支えているもの、それは紛れもないシュール。意味をなさないものであればダダともいえるかもしれない。そこに最高のロマンティスムを感じる。奇妙な形状やストーリーはいらない。それは野暮というものだ。もっと自由に、もっとおおらかにしてゆこう。空気こそが大切なもの。そこに自分の求めているものがかならずあるのだ。

制作が思うように進んでいない。けれど2年前より暮らしは豊かになった。再び写真を撮り始めた。今度はデジカメ一本でやっている。コストの面で考えたらあの極貧の時とは比べモノにならないくらいらくになった。しかしそれはどちらかというと、作業効率優先で考えているからだ。写真を使ったグラフィックはアナログデータはスキャニングしなければならないという宿命がある。デジカメはパソコンでグラフをする場合「写真を撮る」というよりは「実物を遠景でスキャニングする」といった感覚に近い。もともと自分のとっていた写真は絞りや色は一切気にしていなかった。(きれいに映ったときは気分がよかったけど・・)モチーフの輪郭やモールドがトレス出来る程度に撮影できていて、後で使いやすいように構図(ファインダー内におけるトリミング)がしっかり決まっていればそれでよかったというレベルであったのだ。足りないところはあとで考えて加筆ればよかった。描き込むことでどうにでも出来てしまうのだ。ならばはじめから良い写真を撮影しておけばよいと思われがちだが、自分の作業はその写真から空想し、新たな図像を作り上げることが割合として多いので、その完成度の高さは、のちの作業効率には直結しない。いじれない写真ばかりがあると逆に想像するユーモアが委縮するし、完成度が低くてもインスピレーションを描きたててくれる写真のショットは無数に存在する。写真<グラフ<デッサン手描き、手描きがある意味「ありがたみ」を発生させるという場合の連続不等式だ。未だ、「手描き」が出来るという芸当は自分の最後のプライドを守るために有効且、最大の手段である。全てを非描画体である写真に頼るのは、制作の趣旨ではないし、全て描画することは無意味であると考える(まあ、自分の画力では到底全てを描き表すことは不可能だろうが・・)。両方あっていいと思う。ジャンルが、というより自分の中にである。シュールレアリストという言葉を十代の時は理解できていなかった。まずレアリストとして現実を楽しめなければ何も始まらない。その先に広がる/広げるフィクションこそが、シュールレアリスムである。本気で面白いと思う。抑制された飛躍、何の影響も及ぼさない真実の歪曲、カロリーのない味覚のような風景がひろがっている。スチール写真は家族のものを除いて処分した。まずはここから写真と取り直そう。そこから発生するパッションは必ず存在するとこころから信じているからだ。

やはり梅雨の季節は素晴らしい。グレーのフィルターがかかったようなフレームを誰でも手にすることができる。燕が低く飛んでいる。田圃に水が張られ始める。そこにまたぽつりぽつりと雨が落ちて無数の波紋を形づくる。二十代のころは人形作りをしていた。球体の関節をもったビスクドールの進化系のような構造をしたものである。時はバブル。某百貨店グループが立ちあげた出版社からは実験的な書籍が多数出版されていた。専門学校時代に衝撃を受けたものは、ドイツのシュールレアリスト、H・ベルメールの写真集が日本語版で出版されたことだ。かなり学生の私にとってかなり高価だったが代金を工面して手に入れた。ほとんどは彼自作の球体関節人形の写真で埋め尽くされており、1950年代以降のデカダンスな人形師たちはこぞってそこから技術や空気感を継承したと伝えられている。1990年から三年はそればかりしていたと思う。ドール・アイをインテリア用の木球とアクリル棒(これをカットしてレンズ状に研磨する)そしてレジン液を作って自作さえしていた。完成体はたしか三体、素体まで完成させて着色せずに終わった物があと一体分あった。到底世界を作りかえることなど不可能悟り破棄したのが23歳だったと思う。技術的なことはそれらの書物の図版のみから知るだけで、ハウトゥーテキストや生身の人間から手ほどきを受けることなくそこまでやっていたというのは、いまおもえば、恐るべき情熱、羨むべき早熟の若者だったと言えるかも知れない。しかし私の人形師としての生命はやはり後にも先にもあの期間だけであたであろうと思う。心がそれ以上持たなかったと思う。孤独な作業である。しかも閉塞されたジャンルは一部の人間にしか賞賛されないことは事実でそこに未来はなかったと言えるであろう。立体ものから見れば二次元体などどうにでもなると思っていた。しかしそれは違っていた。立体物はそれがどんなにへっぽこでも存在はゆるぎないもの。マテリアルとして成立するもである。片や自分が念頭におく二次元体は空間。奥ゆきや場所を意味するものであり、それは比べることの出来ないもの。むしろ空間なだけにそれ以上であり、ここから長い混迷期が30代半ばまで続いたと言ってよい。今はこれでよかったと思っている。PCの支援技術もあり、試作を個人レベルで試せるようになったのだ。部屋も材料で散乱したり汚れることもなくなった。